そもそも西工の位置づけは |
西工のボデーは、基本的には「ユーザ(バスを買う側)」が「西工を架装して欲しい」と自ら主張してはじめて架装が実現するものです。その理由は様々で、仕様対応力や使い勝手、従来との整合性などがよくある例です。
いずれにしても、西工のボデーを「積極的に選んでもらう」必要があることから、シャーシメーカ系列の標準ボデーに比べるとマイナーな感は否めません。逆に言えば、西工のボデーがそこに存在するという事は、西工を選ぶ理由があるという事でもあります。
西工の大きなセールスポイントは「利用者の立場に立ったボデー作り」であり、国内最大のバス事業者である西鉄を母体に持つ強みとも言えます。
また、長らくの間、国産ディーゼル4社のシャーシに架装可能であった点も西工の大きな特徴です。つまり、別々のシャーシでも同じ使い勝手にできるという事であり、現在声高に叫ばれる「シャーシ間の仕様標準化」は、ユーザ単位で見れば、とうの昔に西工では実現できていた事なのです。
こうした「コーチビルダー」のスタイルは諸外国では当たり前の姿ですが、国内では西工や富士重工が最後まで何とか守り抜いてきた存在でした。
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日デの標準ボデー |
ユーザ指定がなければ架装されない西工がメジャー化するきっかけとなったのは、日デが標準ボデーに西工を採用したことにあります。最初は1988年、中型のRBから始まり、2003年の富士重工撤退で全車種に拡大し、最終的にはふそうからのOEM供給を除き全車が西工製になりました。
従って、富士重工がボデー架装を行っていた時期と、撤退以降とでは、同じ「西工製のUD車」でも意味合いが異なることが理解できるでしょう。
日デの標準ボデー化は、西工の生産台数拡大には貢献したものの、他シャーシの台数が大きく減少したことで、コーチビルダーらしさは薄れていきました。
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従来の西工の姿 |
では、富士重工が撤退する前までは、西工架装車はどんな状態だったのでしょうか?
まず、台数では三菱ふそうが長年トップでした。阪急や西鉄を始め、ほぼ万遍なく納入実績があり、市場全体の評価やシェアから言っても順当な所でしょう。
納入ユーザは、京都市交通局が事実上の「東限」で、東日本地区はよほどの事情がない限り納入されませんでした。一方、西日本地区では、日デの場合だと西工のシェアは4割に達していたこともあり、ローカル色の濃いメーカであったとも言えます。
このほか、マツダのパークウェイの生産が台数面では貢献してきました。国内販売が終了したのちも輸出用としてしばらくの間生産が続いていました。
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ユーザ限定供給 |
標準ボデーに統一したいシャーシメーカ、しかし西工架装の継続を希望するユーザ。そのせめぎ合いで「ユーザ限定供給」という方法がよく採られました。簡単に言えば「このユーザ向けなら西工を架装しても良い」というものです。
いすゞなどは一時期、西工も標準ボデーとして指定した時期もありましたが、日デ以外は基本的にほぼユーザ限定と言われています。
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